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宇喜多秀家墓
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五層の石塔も宇喜多秀家の墓であるが、最初の墓は傍らにある高さ八十センチ程の位牌型の石で南無阿弥陀仏とのみ彫ってある。四代秀親の時にやっと戒名が許され、天保12(1841)年九代秀邑の時に現在の五輪塔に改められたのであった(死後約200年)。それまでは、流人だということできちんとした墓は認められなかったのである。
宇喜多氏は、児島高徳の後喬と言われ(それで、旗印には児を用いた)、代々備前の国に住んでいた。秀家の父は直家で、直家の死後秀家の母お福の方(三国一の美女と言われた)が秀吉に愛されるようになったという関係からか、秀家は豊臣秀吉の養子となり、同じく養女となっていた前田利家の娘於豪と結婚した。秀家は朝鮮の役の総帥となり、その功によって備前・美作五七万石の岡山城主となった。豊臣五大老の一人となったが、関ヶ原の役に敗れて、島津家に二年余り逃れ、久能山に二年間幽閉された後、慶長11(1606)年、三十四才で八丈島に流された。その後50年の間、流人ということで凡俗を装って月日を過ごし明暦元(1655)年八十三才で没した。宇喜多の姓は本家のみに使用し、宇喜田、浮田、喜田などが血縁が薄くなるにつれて使われた。
情報
住所 〒100-1401 東京都八丈島八丈町 大賀郷
交通アクセス
バス停[大脇前]より徒歩3分