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痘瘡(とうそう)死亡者供養塔
種別
名所
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寛政10(1798)年に建てられた、寛政8年冬から寛政9年春にかけての天然痘(てんねんとう)犠牲者の供養碑である。
八丈島は、江戸時代は隔絶の地であったため天然痘が少なかった。そのため、あばた面が少なく美人の島と言われていた。女性の仕事が丹後織りで、外仕事をしなかったので、手も荒れておらず(手が荒れていると糸が引っ掛かって仕事ができない)、肌が白かったことも影響していたが、これは源為朝を拝んでいるためだとされていた。
為朝が、八丈の沖で庖瘡の神を鎮めたという言い伝えがあったからである。そこで、正徳元(一七一一)年将軍家庖瘡治癒祈願のため八丈小島の為朝神社の御神体(現在歴史民俗資料館展示)が江戸に運ばれ、江戸市民にも回向院(えこういん)で御開張された。その後、幕末まで度々江戸御開張が行われている。
しかし、実際には八丈においても庖瘡の被害はあり、一旦流行すると免疫がないため大流行することがあった。特に幕末には飢饅よりも庖瘡で死ぬことの方が多かった。
宗福寺には、一時期に死んだ五百人ほどの過去帳が一括して残されている。
情報
住所 〒100-1511 東京都八丈島八丈町 三根
交通アクセス
警察署から川向に行く道をそのまま行って、鴨川にぶつかる手前の地蔵様をまつっている所に建てられている。