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カテゴリ |
ヴィクトリア銘洋鐘と第二長崎丸
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| 種別 |
名所 |
| コメント(ひと口PR) |
幕末の元治元(1864)年11月24日午前10時頃、中之郷藍ケ江に第二長崎丸が漂着した。磯根に乗り上げたようで、積み荷の大半を陸揚げでき、人的被害もなかったようである。第二長崎丸は、文久3(1863)年に長崎において66,000ドルで英国から購入した出力60馬力、排水量94トンの鉄製外輪汽船で、前名Victoria、1857年にオーストラリアで建造された。 長崎丸は、総勢56人が乗り込んでいた。荒天で船便がなく、翌年3月3日漂着した三宅島船に幕府への書状を託した。この書状は3月15日に届いたが、3月3日には沈船の手続きがとられていたという。幕府は3月25日人数尋ねのため翔鶴丸を出し、4月4日藍ケ江港に到着し、一部乗組員を乗せ帰った。残りは、4月18日に、山下預かりの御用船で帰国した。 長崎丸には、緒方精齊、吉雄幸次の二医師が乗り組んでおり天然痘の種ももっていた。たまたま八丈島で天然痘が流行していたので、種痘の接種をしたということで、日本で行われた種痘でも早い方だと言われる。また、引き揚げられた大判・小判が初めて八丈島で流通し、貨幣流通の初めになったという。
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| 情報 |
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| 住所 |
〒100-1623
東京都八丈島八丈町
中之郷
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| 交通アクセス |
大御堂の社殿の軒に吊り下げられている。
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ヴィクトリア銘洋鐘(めいようしょう)と第二長崎丸
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