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山下平治平為民と二代の墓石
種別
名所
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 山下平治平為民は、初め義栄・与左衛門と名乗ったが、天保元1830)年に改名した。御船預かりの家柄であったが、父・与惣兵衛主茂が不正を働いたということで吟味され、御船預かりは、浅沼(長戸路)七郎左衛門真忠の四男の山下惣十郎住干に代わっている。屋敷は現在の故山下浄文氏宅で、道路が拡幅されるまでは石垣が積んである屋敷造りの立派なものだった。下屋敷(中之郷言葉ではシモネイ。紋はジョウボシ)だったという。 中之郷でも、三根・末吉などと同様、カミ・ナカ・シモ三家があったようで、上屋敷(カムネイ。紋はサンジルシ)は大御堂の道路挟んで樫立側の所、中屋敷は都道から長楽寺に向かって下がる道の右手の所であったという。 かつての墓所は、現在は別の家の墓所になっていて、平治平夫妻と主茂夫妻(墓石は茂主になっている)、平治平の子どもの斗作
夫妻の墓石だけが隅に囲耳寄せられて置かれていた。昔、この墓地からシモネイに、「約束通り跡継ぎを決めてくれなかった」と恨んで幽霊が出ると言われ怖かったという話がある。
情報
住所 〒100-1623 東京都八丈島八丈町 中之郷
交通アクセス
京言庭第一墓地の六地蔵の上の所。